VENUS PETER
Introduction

VENUS PETER

〜 魂のひとつやふたつ、悪魔にくれてやれ! 〜
THE BEST OF VENUS PETER ライナーノーツより抜粋

 

1988年、イギリスで突如巻き起こったACID HOUSE ムーブメントはその直後89年から90年にかけてSECOND SUMMER OF LOVEと呼ばれる社会現象となっていった。新しいダンスミュージックの台頭とオプティミスティックな時代の空気はThe Smithsの解散以降くすぶっていたUKミュージックシーンにダンスビートという新たな刺激とレイブという場を創り出すに至った。The Stone RosesやHAPPY MONDAYSがダンスビートを取り込んだスタイルのロックを打ち出し、FACTORYはHACIENDAというクラブを運営しANDY WETHERALLやPAUL OAKENFOLDといった新しいスタイルを持ったDJやクリエイターが台頭してきた。

そんな時代の空気の中、日本でもその熱気を嗅ぎ取った一部の若いミュージシャン達がそれまでの日本的なアンダーグラウンドなインディーズスタイルとは違うもっとダイレクトに自分達が聴いているものと同じスタイルの音楽を作り始めていた。その音楽性もある意味価値観すらも新しい小さなムーブメントが1990年の東京でも動きはじめていた。

VENUS PETERはそんな中結成された。

彼らは全曲英語でオリジナルをつくっており、そのサウンドはUKシーン直系のサイケデリックなサウンドと美しいメロディーを兼ね備えたものであり、さらにダンスビートすら意識したものとなっていた。

彼らは自然に自分達が聴いている音楽を自然にやっていたにすぎないが、あの時代の高揚した気分は十分に表現されていた。

そしてインディーズレーベルからアルバムとシングルをリリースした後の92年にメジャーデビューをする。

新しい時代の先駆者的なアーティストとして一部では高い評価をされていたものの、まだ日本のシーン自体がそこまで変化する余地はなくバンドも様々なことに戸惑いながら日本のポップシーンと対峙してゆくことになる。洋楽との同時進行性や海外との共通の時代性といった言葉で語られたバンドに対する評価はその外面のスタイルに留まり音楽の本質的な部分に触れられることはそれほど多くはなかった。だが91〜93年の3年間という短い時間の間に彼らのライブや活動に触れた人たちはそこにすばらしいマジックが働いていたことに気づいたであろう。先駆的であったがゆえの苦しみは多かったがそれだけにVENUS PETERにしかできない素晴らしい瞬間を数多くつくり出していた。

94年2月のライブを最後にバンドは活動を停止し、解散となる。

それから10年、Vo沖野の働きかけによりオリジナルメンバーによる再結成が決定した。

当時見る事ができなかった人も見ていた人もそしてなにより、もう一度そろうメンバーにとっても楽しみな一夜であることは間違いない、そして結成から15年以上たった今でもきっと彼らのサウンドは時代に風化することのない音楽であることを確認できるはずだ。


contact us